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  2. 深崎暮人×SHIBUYA TSUTAYA IP書店プロジェクト Produced by TO BOOKS

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opening episode

Interlude sideA-1

 向き合おう。自分の罪に

 ――私がそう決意したのは一週間前のことだ。

 腹を決めるまで時間が掛かった。

 だが私は(それが〝私〟の常であるのだが)、いったん決めてしまえば行動が早い。

 さっそく準備を始めた。

 事は慎重に進めなければならない。

 おそらくは、いや確実に、ただ一度きりの機会になる。

 結果がどうあれ後悔は残したくない。

〝彼女〟らしく――いやこの場合は〝私〟らしく、か? まあどちらでも良い――とにかく、らしくいこう、らしく。でなければ意味がない。

 さて。あの双子たちはどんな女の子になっているだろう?

 いったん決意してしまうと楽しくなってきた。

 私は鼻歌を口ずさみながら準備を整えていく。

〝辛いよ辛い もう現実と〟

〝理想の境目で僕らの〟

〝夢 希望その類い 砕けた幻〟

 ああまさか。

 罪に向き合うのが、こんなに爽やかなことだったとは。 

0日目

 夏休み。青少年たちにとって夢のひととき。

 そこにはすべてがある。青い空、白い雲。砂浜と海、水着とおしゃれ。かき氷にアイスクリーム。浴びるように音楽を聴く時間。むさぼるように書籍に没頭する時間。もしかしたら恋なんかも。

 浮かれてしまうことが許される、一ヶ月半のモラトリアム。

 たとえ受験勉強という鬼門が待ち構えているにしても、ここで青春を謳歌しなければ何のための人生か。

 しかも七月の末。長期休暇に入ったばかりの時期だ。

 目的も計画もなく、衝動のまま駆けだしてしまったとしても、大人たちは多少のお目こぼしをしてくれる。大人たちもまた、かつては青少年であったから。

 それでも例外はある。

 日本の真ん中にある某県某市の、とある一軒家の、とある一部屋。

 部屋の主は、白雪詩愛と白雪心逢。

 れっきとした青少年で、花ざかりの女子生徒だ。

「…………」

「…………」

 CDやレコード、小説や漫画に埋もれた十畳サイズのその部屋は、けだるい沈黙に満ちていた。

 姉の詩愛は音楽を聴いている。

 ヘッドホンで両耳を塞ぎ、天を仰ぐようなポーズでソファーにもたれかかり、盤上没我といった体で自分の世界にのめり込んでいる。リラックスとは真逆、まるで己の論文に矛盾を発見してしまった哲学者のように眉を寄せて、両目を閉じている。

 妹の心逢は小説を読んでいる。

 速読の彼女はページをめくるスピードが速い。左右の瞳が、ページの右から左へ、最新型の工業用ロボットみたいなリズムで小刻みに動く。ぺらり、はらり。ページをめくるかすかな音は、単調な中にもビードにうねりの利いた、ある種のジャズのようだ。

 駆けだすばかりが夏休みではない。

 青少年も十人十色。

 ウォータースライダーつきのプールにも、数万人を集めるフェスにも縁がない、それもまた青春。

 部屋に引きこもって、あふれかえるコンテンツに埋もれて時間を過ごす。有意義な過ごし方だ。当人たちが本当にそれを望んでいるなら。

「ねえ詩愛」

「…………」

「ちょっと詩愛。聞いてる? ヘッドホン外して」

「……はぁ? 邪魔しないでくれる心逢? 今いいとこなのに」

「音。漏れてる。詩愛のヘッドホンから」

「漏れないでしょ。これ遮音性の高いやつだし」

「漏れてるって。今ボリュームあげたよね?」

「アルバムのいいところなの。【フラッシュバック】から【未来の欠片】。この曲の流れでアゲない方がおかしいっしょ」

「知らないからそっちの音楽事情は。ボリューム下げて。気が散る」

「どんだけ神経質なのあんた。そっちが耳栓すればいいじゃん」

「それは嫌。気が散る」

「じゃあ出てけば? この部屋から」

「ここ私の部屋だから。出てく理由ない」

「私の部屋でもあるんですけど。なんで私が出てかなきゃならんの」

「それに詩愛、部屋の片付けやってない」

「今日の当番は私じゃないし。心逢の当番だし」

「詩愛は昨日サボったでしょ」

「その前は心逢がサボったじゃん」

 ふたりはにらみ合った。

 すぐに視線を外した。

 詩愛はヘッドホンを付け直し、心逢が小説に目を落とす。

 家の事情でひとつの部屋を共有する姉妹も、そりの合わない姉妹も、世にごまんといる。

 ただしこのふたりはやや事情が異なる。

 第一に、彼女たちは一卵性の双子だ。姿形がよく似ている。今はそうでもなくなったが、かつては見た目で間違えられることも多かった。髪型と服装をそっくりにしてお互いを入れ替えるいたずらも、過去に何度かやったことがある。

 第二に、彼女たちには両親がいない。父親は最初から存在しなかったし、母親は五年ほど前に亡くなった。今は祖父母の家に身を寄せている。

 第三に――おそらくはこれが、詩愛と心逢がいがみ合う最大の理由――お互いの趣味が合わなかった。詩愛は音楽全般を好み、心逢は書物全般を好む。共通するのはどちらも雑食系で、コンテンツに貪欲であることぐらい。結果、CDやレコードや小説やマンガで部屋が圧迫される。圧迫されるとパーソナルスペースが狭くなる。狭くなると姉妹ふたりの距離が縮まって衝突が起きる。

 それでも家庭の都合により、使える部屋はひとつきりだ。

 仕方なくふたりは顔を付き合わせて、十畳サイズの部屋で時間を過ごすことになる。

 それがこの双子の日常であり、夏休みもそうなる――はずだった。

 事情が変わったのは昼さがり。

 夏日は続くものの、障子を開け放していれば涼しい風が通る。やや標高の高い場所にあるこの家は、冬は寒さが厳しいものの、夏は比較的過ごしやすい。

 蝉しぐれ。

 風鈴が奏でる音。

 ぱらりぱらりと小説のページがこすれる音。

 穏やかな顔で【燃えよ剣】のページをめくっていた心逢の眉が、あからさまにひそめられた。どたばたと聞こえるガサツな足音。姉の詩愛が外出から帰ってきた音だ。

「ねえ心逢」

 部屋に入るなり詩愛が話しかけてきた。

 心逢は聞こえないふりをしてページをめくり続ける。

「ねえ心逢ってば」

「…………」

「聞けよ」ドンッ。心逢が座っているソファーの背中を蹴る音。

「……いそがしいんだけど。今」

「本読んでるだけでしょ。なんか変な手紙が来てんだけど。ほらこれ」

 詩愛が差し出したのは、くすんだ褐色をした平凡な封筒。

「私宛の?」

「いや、それがさー」

 宛名の部分を指で示す。

「白雪詩愛様、白雪心逢様。……私たちふたり宛?」

「たぶん」

「誰から?」

「何も書いてない。差出人のところは」

 心逢は眉をひそめた。

 宣伝目的のダイレクトメールではなさそうだ。かといって、こんなアナクロなやり方で連絡を取ってくる相手の心当たりもない。

「開けていいのかな? これ」

「変な詐欺とかあるからね、今時は。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに相談した方がいいんじゃないの」

 びりびり。

 詩愛が封筒の封を破いた音。

「……ねえ詩愛。私の話聞いてた? なんでいま開けた?」

「爆弾が入ってるわけじゃないっしょ。別に開けてもいいと思うけど? 私と心逢に送られてきた手紙なんだし。ていうかどうせ開けることになるじゃん」

「最初から開けるつもりならなんで私に相談するの」

「そりゃするでしょ。私と心逢の宛名になってんだから」

「……あんたってさー」

 心逢は小言を並べようとして、すぐに口を閉じた。

「え。なにこれ」

「やば」

 現金だった。一万円札。一枚や二枚ではない。数えると十枚。つまり十万円。

 それにチケットが入っていた。新幹線の。こちらは二枚。

「詐欺じゃん絶対」

「まあ、ねえ……」

「詩愛のせいだからね」

「いやまだそう決まったわけじゃないし。ほらこっち」

 便せんも入っている。折りたたまれたそれを開いてみた。

 直筆の日本語。中にはこう書かれている。

『挑戦状

 白雪詩愛くん
 白雪心逢くん

 君たちに〝とある謎〟を解いてもらいたい。
 チケットと前金は用意した。待ち合わせの時間と場所は最後に記す。
 来るかどうかは君たち次第だが、君たちの奮闘に私は期待している。

謎の依頼人Xより』

「……なにこれ」

「挑戦状でしょ」

「だから何それ」

「知らないわよ。とにかく詐欺で決定。もしくはいたずら。詩愛が悪いんだからね。勝手に開けるから」

「ちゃんと相談はしたじゃん。ていうかこんな怪しい詐欺、ある? 詐欺って普通はもうちょっと詐欺っぽくやるもんじゃない?」

 調べてみたがお金は本物。

 同じくチケットも本物。

 誰かのいたずらか? だとしてもいったい誰が?

 年頃の女子らしく、心逢も詩愛も好奇心は旺盛だ。

「郵便で現金送るのってアウトなんだけどね」

「そうなんだ」

「せめて小為替だよね」

「こがわせってなに?」

「でも現金の方がインパクトあるのは事実」

「この手紙を出してきたヤツの性格がなんとなくわかるね。こがわせってなに?」

「クラスメイトの誰かかな」

「それはないでしょ。現金十万だよ?」

「でも名指しでご指名なんだよね、私たちを」

「私たちを知ってる誰か、ってこと?」

「そうとも限らないかなー。本気で詐欺るつもりなら、私たちのことぐらい調べられるでしょ」

「これって本気の詐欺だと思う?」

「……そこなのよねー」

 ふたりは大いに議論し合ったが、推論以上のものは出しようがなかった。

 その日の夜。

 夕食の場で祖父母の意見を聞くことにした。

 五年ほど前に母が亡くなった後、詩愛と心逢は母方の祖父母にあたるこのふたりの元に身を寄せている。

 しつけに厳しく、そのぶん口数は少なくてプライベートには寛容。

 好きなだけ音楽や読書をむさぼらせてくれる、心逢と詩愛にとってはありがたい保護者だったが。同時にいささか苦手な相手でもあった。〝肉親と一緒に暮らしている〟というより〝死んだ母がかつて共に暮らしていた遠縁の家を間借りしている〟という感覚が姉妹にはある。生前の母と祖父母が絶縁の状態だった影響も、多分にあるだろう。

「あのう、すいません」

「実はこんな手紙が届いてまして」

 ふたりは祖父母に手紙を見せた。

 祖父も祖母も黙ってそれを受け取り、ふたりで目を通し始める。

 そこはかとなく緊張が走る。学期末に成績表を見せる時みたいな。

 そうか、と祖父がつぶやいた。祖母は黙っている。表情をほとんど変えずに便せんの文面に目を向けている。

 双子はそっとお互いの目を盗み見た。人生に疲れ切ってしまったような雰囲気が、この祖父母にはある。十代の少女であるふたりには、年長者たちが心のうちに秘めているであろう言葉など、まだ推し量れない。

 やがて祖父が言った。好きにしなさい、と。詩愛も心逢ももう子供じゃない、お前たちの好きにしてみなさい、と。

 意外すぎる言葉だった。

 何も期待していなかった――といえばうそになるが。警察に連絡するなり、行政に相談するなり、ごく普通でまっとうな対処をされると思っていた。

 それがまさか、好きにしなさい、とは。

 好きにしなさいということは。十万円も、新幹線のチケットも、思うままにして良いということになる。

「……司馬遼太郎全集!」

「……はっぴぃえんど! LPで全部!」

 部屋に戻るなり、双子は弾けるように盛り上がった。

「やっば! すっごいアガる!」

「ぜったい反対されると思ってたよね!?」

「ね!?」

 両手でハイタッチ。

 からの、両脚でぴょんとジャンプして、お尻とお尻を軽くぶつけ合う仕草。

「えーやばい。ホントやばい。ぜったい買う。司馬遼太郎全集」

「私もほしかったんだよねー、はっぴぃえんどのLP。全曲聴いてるけど、そういうことじゃないもんねー……ん? ていうかさ心逢」

「え? なに?」

「司馬遼太郎の全集っていくらすんの?」

「んー。二十万とか?」

「あんた頭いいのに算数できないの? 十万円じゃぜんぜん足りないじゃん。私のはっぴぃえんどは五万あればいけるから。十万円を山分けしてぴったり五万円。ごめんこっちは楽勝」

「なにそれ。妹のために十万円ぜんぶくれるっていう発想はないの?」

「こういう時だけ妹ヅラすんな。しかも十万円じゃ足りないでしょどうせ。――ていうか新幹線! 東京!」

 手紙の末尾には、待ち合わせの場所と時間が記されていた。

 東京都渋谷区の某所。

 ド田舎とまではいかないが、片田舎と呼ばれるのは否定できない土地に住んでいる双子にとっては夢いっぱいの大都会。

「タダで東京に行ける!」

「ライブハウス行ってみたい! Quattroとか!」

「本屋さん行きたい! アニメ専門店とかも!」

「渋谷のTSUTAYAでよくない? ぜんぶあるよあそこ」

「それいい! ぜったい行く!」

 再びのハイタッチを交わし、双子はあわただしく旅行の準備に取りかかる。

 ……心に引っかかるものはあった。

 それでも沸き立つ感情は抑えられなかった。

 もとより持て余し気味だった。ただでさえ十代の少女であり、詩愛も心逢もそれぞれに強い趣味嗜好があった。〝東京〟の二文字はふたりにとって、目をくらませるに足る魅力を放つ魔法の言葉だった。〝とある謎を解く〟というミッションも悪くない。刺激の足りない田舎の暮らしには、こういうスパイスがうってつけだ。

 しかも手紙には前金と書いてあった。

 つまり後金がある。司馬遼太郎を買って、はっぴぃえんどを買って、ついでにテレキャスターのちょっといいやつなんかも買って、それでもおつりが来るかもしれない。

 ある種の安心感もあった。

 謎の依頼人Xという、一周回ってふざけてるのか真面目なのかよくわからない名前の誰かは、おそらく危険な人物ではない。本当に危なそうな輩は、もっと危なくなさそうな顔をして近づいてくるものだ。

 待ち合わせ場所をGoogleで調べてみたが、ごく普通の喫茶店だ。

 ちょっと会って話をするだけなら問題ない。いつでも逃げ出せる心の準備と、何が起きても自分で責任を負う覚悟。それだけあれば十分。

 いい退屈しのぎ、いい小旅行になる。

 この時はまだ、詩愛も心逢もそう思っていた。 

Interlude sideB-1

 向き合おう。自分の罪に。

 そう決めて私はこの手記を書きとどめることにした。

 おそらく意味はない。誰にも読ませるつもりがないから。

 だけどきっと正しいことだ。書き終えたら焼き捨ててしまうつもりの言の葉でも、心の内にとどめておくのと、文章にして著すことには、天と地ほどに違いがある。

 ――決めたはずなのに筆が重い。

 私の本質は優柔不断だ。だけどこれからは違う。違わなければいけない。〝彼女〟のような私でいなければならない。奔放に、闊達に。万事を進めていく必要がある。

 さて。この双子たちはどんな女の子になっていくんだろう?

 鉛を飲み込んだみたいに胃が重い。

 気分を紛らわしたくて鼻歌を口ずさんでみる。

〝辛いよ辛い もう現実と〟

〝理想の境目で僕らの〟

〝夢 希望その類い 砕けた幻〟

 裏目に出た。ただでさえ重たい胃袋から苦い液体がせり上がってきて、私は思わずその場でえずいてしまった。

 ああもう、まったく。

 罪を背負うことが、こんなに息苦しいものだったなんて。

一日目 

 目的地にたどりつくまでてんやわんやだった。

 新幹線に乗るのさえ初めてだ。慣れない改札。自由席に指定席にグリーン席。「指定席ってことはグリーン席?」「グリーン席はお金持ちの席。常識ですけど」「でもこのチケットの番号ってこっちでしょ、どうみても。グリーン席の方」「うわホントだ。私たちお金持ちってことじゃん」「手紙を送ってきた人がお金持ちなんだよ。VIP待遇ってやつだ、私たち」

 十歳ぐらいになるまでは、亡き母と東京で暮らしていたから、電車は何度も乗っていたが。新幹線はシンプルに速かった。それに静か。「うわすごー。文明の利器じゃんこれ。そりゃお値段も高いわ」「見てみてコンセントある。スマホ充電し放題」「えっ? ていうか車内販売ってもうないの? ショックすぎるんですが」「ショックっていうか何も買ってきてないんだけど。食べるものも飲むものも」「だから言ったじゃん、おやつは買っておいた方がいいって」「そっちだってノリノリだったでしょ。十万円あるし車内販売で王様気分を味わうんだー、って」ぎゃんぎゃん騒いでいると隣の客に睨まれた。心逢はあわてて文庫本を開き、詩愛はヘッドホンで耳を塞いだ。

 少しの着替えと最低限の日用品だけを詰め込んだカバンふたつを持って、東京駅まで一時間ちょっとの旅。これだけでもかなりの満足感があった。「詩愛と一緒じゃなきゃもっとよかったけどね」「こっちのセリフ。心逢と一緒じゃなかったらもっと楽しめた」「ていうか久々だね、東京」「渋谷も久々だ」「けっこう変わってるのかな」「私らまだ小学生だったし、そんなに詳しくないけどね。お母さんも病気だったしさ」

 TSUTAYAもQuattroもまずはお預けだ。

 東京駅から日比谷線に乗り換え。

 広尾駅からは徒歩。かつて住んでいた渋谷区の区内ではあるが、双子にとってこのあたりは無縁の場所だ。「ゴチャついてるねえ、このへんって」「渋谷って大体どこでもこんな感じでしょ」「でっかい建物あるなー。あれ大学?」「病院らしいよ。日本赤十字医療センターだって。すっごいでかい」

 目的の場所は、その巨大病院のすぐ近くにあった。

 待ち合わせの喫茶店は歴史を感じさせる店構えだった。こぢんまりとした店構えに、色あせた木製のドア。ドアの隣にはガラス張りのディスプレイ。ディスプレイの中には、ホコリを被ったクリームソーダの食品サンプル。

 双子はお互いに顔を見合わせてからドアを開けた。

「やあどうも。こんにちは」

 依頼人があいさつをしてきた。おそらくはにこやかに。

 おそらく、というのは、この人物がサングラスをかけていて、マスクで顔を隠していたからだ。表情がわからない。わからないから声で判断するしかない。しゃがれ気味の声は、双子に判断できる限り、歓迎と友好の色があるように感じられた。

「さあどうぞ座って。それと注文を。好きなものを頼むといいよ」

 依頼人が促した。

 席に座る前に、心逢も詩愛も思わず声が出た。

「あやしい」

「あやしすぎる」

「あはは。率直だな君たちは」

 依頼人は笑った。気分を害した様子はない。

 というよりこの依頼人に気分を害する理由がない、と言った方が正しいかもしれない。謎の依頼人Xは見た目からして怪しすぎる人物だった。サングラスにマスクだけでなく、真夏だというのにトレンチコートを着ている。春物の比較的薄い生地のコートのようだが、それにしてもこの季節に着るものではない。体型を隠すのが目的なのだろうか。

 そして頭にはフェルトハットを被っている。さながらハードボイルド小説に登場する探偵みたいなファッションだ。もしくは黒幕とかフィクサーとか。

 帽子に隠れている短い髪の毛は、どうやら染めた金髪らしい。小びんのあたりの髪は、ポマードか何かをつけているように見える。

「まあ座ってくれたまえ、心逢くんに詩愛くん。それともここで帰るかな? 構わないよ、それも君たちの自由だ」

 双子は顔を見合わせた。もとよりあやしすぎる手紙が事の発端だが、実際に対面した依頼人は想像に輪を掛けてあやしい。

 それでも危険な雰囲気は感じない。周りの席にいるまばらな客たちが、胡乱げな様子でこちらを見ている。依頼人とは無関係な人たちなのだろう。この店に呼ばれたこと自体が何かの罠、といったことはなさそうだ。

 双子はそろって椅子に座った。依頼人はわずかに微笑んだようだ。

「ここに来てくれたということは、依頼を受けてくれる意思表示、と受け取っていいのかな?」

「内容次第で」詩愛が言った。「嫌になったら帰ります」心逢も言った。

「それで構わない」依頼人がうなずいた。「依頼を受けるのも受けないのも君たち次第、途中でやめるのも続けるのも君たち次第だ。それと前金はもう君たちのものだからね、好きに使っていい。依頼を成し遂げたら後金も払う」

 店員が注文を取りに来た。「好きなものを頼んで構わないよ」依頼人に言われて、詩愛がクリームソーダを、心逢がカフェオレを頼んだ。

 それから心逢が話を切り出した。

「というかあなた、誰なんです?」

「話はそっからだと思うんですけど」詩愛も続いた。「私と心逢を名指しでってことは、私たちを知ってる人なんですよね?」

「私の正体を詮索しないこと。それがこの依頼の前提条件だ」

 依頼人のテーブルにはコーヒーカップが置かれている。アイスではなくホット。とっくに冷めて湯気は出ていない。それに口をつけた形跡もない。

「私は謎の依頼人Xとして君たちに接する。それが納得できないなら、話はここで終わりだ。適当に渋谷の見物でもして家に戻りなさい。お金の心配はしなくていい。滞在にかかる費用の一切は私が出す。宿泊先の手配も私がやろう。一日や二日ではこなせない依頼になるだろうからね」

「……条件が良すぎないですか?」

「やっぱあやしい」

「それでも君たちは来てくれた」

 険しい顔をする双子に、依頼人は穏やかな声を返す。

「君たちの好奇心は、君たちに何もさせずに引き下がるのを許しはしないだろう。でなければ、そもそもこの場に姿を現さない。違うかな?」

双子は顔を見合わせた。

 依頼人の指摘は正しい。うさんくさい手紙に応じてこの場に来た以上、詮索は後回し。まずは話を聞くところからだろう。

 それでもふたりは若い。どちらかといえば気も強い。

 余計なことと承知していても、言わずにはいられなかった。心逢から口を開いた。

「率直な感想、言っていいですか」

「どうぞ」

「私、あなたのこと嫌いです」

「私も」詩愛も同意した。表情が険しい。

「正しい判断だよ」依頼人はうなずいた。「若いのに君たちはしっかりしている。とても素晴らしいね」

 のらりくらりとした返答だ。子供あつかいしている。依頼を受けてもらおうという立場なのに。

 双子は鼻白んだが、分別は持ち合わせていた。深追いしても時間の無駄だ。

「さて肝心の依頼だが」

 依頼人が何かを取り出して、テーブルの上に広げた。

 双子は身を乗り出してそれを眺める。

「なんですこれ?」

「写真? かな?」

「どうぞ。手に取ってみて」

 絵はがきの類らしい。合わせて十枚ある。絵柄はまちまち。どうやら都会の写真をプリントしたもの、ということは共通しているようだが、それ以外の共通性はパッと見ではわからない。

 裏返してみた。消印が押されていることからして、使用済みの絵はがきだということはわかる。宛先はすべてアルファベット表記。日本から海外に向けて発送されたものだが、差出人の名前も受取人の名前も書かれていない。

「この絵はがきの謎を解いてもらいたい」

 依頼人は言った。

「それが君たちへの依頼だ、心逢くん詩愛くん」

「謎……って言われても」心逢が首をかしげる。「この絵はがきの何が謎なんです? 普通の絵はがきに見えますけど」

「差出人の名前と受取人の名前が書かれてないのはまあ、ちょっと変かな」詩愛も眉をひそめる。「でもまあ、それだけと言えばそれだけだよね」

「それも謎のうちさ」依頼人が肩をすくめた。「君たちが解くべき謎にふくまれる」

 双子は困惑した。

 なんともぼやっとした依頼だ。謎を解けと言いながら、何が謎なのかすらそもそもわからないとは。

「ヒントは? 他にないんです?」と心逢。

「とっかかりが何もなさすぎるよね」妹の方を見る詩愛。

「今現在、君たちに示しているものがすべてだ」

 依頼人は淡々と告げた。

「……とはいえ、これだけでは依頼に取り組むやる気をなくすかもしれないね。それはそれでちょっと業腹だな」

 依頼人が顎に手をやって、考えるそぶりを見せる。

 ご丁寧に、手には黒い手袋がはめられている。自分の正体は何が何でも隠す、という意思が強く伝わってくる装いだ。

 注文した品が来た。

 心逢がカフェオレに口をつけ、詩愛がメロンソーダのアイスクリームにスプーンを入れる。そうしている間にも、双子は不審そうな目で依頼人を盗み見している。

「では最初に断っておこう」

 依頼人がふたたび口を開いた。

「〝とある謎〟を解いてほしいと言ったが、そもそもこれは大した謎じゃない。解く価値なんてないに等しい。もっと言うと謎ですらないね」

 双子はふたたび困惑した。

 謎は謎ですらない? それを解いてほしいとはどういうつもりなのか。そんなもののためにこの依頼人は、わざわざ新幹線のチケットを用意し、適法ではないやり方で大金を送りつけ、詩愛と心逢に何かをさせようというのか。

「差出人の名前と受取人の名前が書かれてないことは……これも大した意味はないね。こだわらなくても問題ない。それといちおう言っておくが、私に君たちを害する意思はないよ。過度な干渉をするつもりもない。好きにやってくれていい」

「そんなこと言われても……」

「ねえ?」

 困惑を通り越して、双子は途方に暮れてきた。わからないことはストレスだ。

「それともうひとつ」

 依頼人が人差し指を立てる。

「ペナルティを設定する。謎解きが一日遅れるごとに、君たちに罰を与える」

「なんですそれ。聞いてないんですけど」

「やっぱ怪しい。詐欺だ」

「ペナルティの内容は……そうだな、君たちの話を聞かせてもらう」

 双子の抗議に構わず、依頼人は言う。

「ただ話をするだけでは罰にならないからね。君たちの心のうちを晒してもらう、というのはどうかな? 君たちの秘密を私に教えてもらうんだ」

「心のうちを晒す……?」

「秘密って言われても……」

 双子はふたたび困惑する。そんなものを聞いて、この依頼人にとって何になるというのだろう。ティーンエイジ女子の秘密を欲するとは、見た目どおりの変質者なのだろうか? そもそも何をもって秘密だと判断する? 心逢と詩愛が適当な話をでっちあげたとしても、依頼人にはわかりようがないのでは?

「何を君たちの秘密として語るか、あるいは何をもって秘密と定義するか。それも君たちに任せる。この条件で依頼を受けるかどうかも、もちろん君たちに任せる」

「期限は? いつまでに謎を解けばいいんですか?」

「私がこの街を離れるまでに」

「いつこの街を離れるんですか?」

「言わない。意外と長く居るかもしれないし、ある日ふらっと街を離れるかもしれない。その場合でも前金を返せなんて言わないさ。後金も出さないけどね」

 連絡先を交換して依頼人は立ち上がった。ゆっくりとした、まるで体中に持病を抱えた老人みたいな動作だった。

「話は以上。明日また同じ時間にこの場所で会おう。君たちが姿を現さなかったら、その時点で依頼を放棄したとみなす。明日まだ謎が解けていなかったら、君たちにはペナルティを受けてもらう」

 依頼人が微笑んだように見えた。サングラスにマスク、夏に似合わない服装。これだけでも意外なほど正体が隠せるものだ。双子にとって、そもそも解かなければいけない謎は、この依頼人の素性ではないかと思えた。

「さあゲームの始まりだ。せいぜい楽しんでくれたまえ」

【NOT FOR SALE】
試し読みの無断複製、転売、配布等は禁止します

©2024 Kurehito Misaki / TO Books.

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